Monthly Archives: 9月 2022

「社会性の起源」第2回 動物にとり憑いた人間

PR誌「本」(講談社)での連載「社会性の起源」第2回が、2014年2月号に掲載されています。 (さらに…)

記事へリンク

「〈世界史〉の哲学」第59回 近世篇5「法の支配」のアンチノミー

発売中の「群像」2014年3月号に連載評論「〈世界史〉の哲学」第59回近世篇5「「法の支配」のアンチノミー」が掲載されています。 (さらに…)

記事へリンク

大澤信亮さんとの対談が「群像」2014年3月号に掲載されています

発売中の「群像」2014年3月号に、文芸評論家・大澤信亮さんとの対談が掲載されています。東浩紀さんなどを招いた大澤信亮さんの連続対談の最終回です。 (さらに…)

記事へリンク

『〈世界史〉の哲学 東洋篇』

「群像」で連載中の長篇評論「〈世界史〉の哲学」、東洋篇が書籍化されました。 (さらに…)

記事へリンク

雑誌「NARASIA Q」で橋爪大三郎さんと対談

奈良県の発行する雑誌「NARASIA, Q」第6号の、特集「アジアのスゴ本116冊」で橋爪大三郎さんと対談しました。

テーマは「書物に見えるアジアとヨーロッパ」。

橋爪 (・・・)日本の場合、はじまりにあるのは歌です。歌は、無文字の時代からあった、定型の表現形式だった。歌の中でも万葉の長歌のような、無文字時代の長大な表現形式はたちまちすたれて、短歌だけが残る。なぜかと言えば、結婚前の若い女性に歌を詠むカルチャーがあったからです。男性も歌を詠めないと女性たちからふり向いてもらえないということで、盛んになった。そうした状況で、手本になるよい歌をまとめた本があると便利だとして、『古今和歌集』などが編集されていく。
大澤 日本の本について興味深いのは、本に編まれたからといって、そのテキストに権威がつくわけではない点です。『古今和歌集』に自分の歌が掲載されたら、もちろん嬉しいでしょう。でも一方で「だからどうしたの?」という感覚もある。(・・・)
橋爪 (・・・)もう少し踏み込んで言えば、日本では、仏典や儒教の正典など、便宜的な本ではないちゃんとした本の原典はみんな外国にあって、そのソースにたどり着くことができない。日本にある本はどこまでも「原典」にはなれなくて、せいぜいその「媒介」にすぎない。だから本に権威がないのかもしれない。
(・・・)

対談で言及したのは、『悪魔の詩』、『物騒なフィクション』『コーラン』『論語』『古今和歌集』『薔薇の名前』・・・。ほかにアジアとヨーロッパの違いを知るための10冊として、白川静『漢字 生い立ちとその背景』、本居宣長『直毘霊』、デリダ『エクリチュールと差異』、井筒俊彦『意識本質』などを紹介しています。

奈良県庁などのほか、一部の書店で配布されています。下記の奈良県HPなどでご確認ください。
http://www.pref.nara.jp/item/93799.htm

記事へリンク