問いと答えの水準

われわれを震撼させたそれらの出来事や社会現象を、評論家や社会科学者が政治、経済、法律、テクノロジー等に原因帰属させられるようなかたちで説明するとき、あるいは当事者が利害や個人的な憎悪に言及しつつ自己解釈するとき、何かが根本的に違うという感覚をもったことがないだろうか。われわれが出来事や現象に対してもった「驚き」と今まさに与えられようとしている答えの「陳腐さ」の間のバランスが、圧倒的に崩れているのである。問いが、それが本来属していた水準とは異なったところで解かれているからである。問いと答えが所属すべき一つの水準がまるごと、見失われているのである。『現代宗教意識論』「あとがき」より