5月7日より発売中の「群像」2011年6月号に、連載評論「〈世界史〉の哲学」の第28回が掲載されています。
第28回「新大陸の非西洋/ユーラシア大陸の非西洋」
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ジャレド・ダイヤモンドの説を、ていねいに見てきた。簡単に言えば、こういうことである。歴史の中で、確かに、ある人々——ヤリが「白人」と呼んだ西洋の人々——が優越性をもち、新大陸の住民など他の人々は劣勢だったが、それは、前者が何か本質的に優れていたからではない。そうした差異が出たのは、人々がたまたま置かれていた環境の違いによって生じたのである。これは、単純な環境決定論に聞こえるが、ダイヤモンドは、きわめて大胆な仮説と、それを裏付ける豊富な証拠によって、議論を展開している。
(略)
だが、西洋と中国の間の非対称的な関係についてはどうであろうか。まったく無力であると言わざるをえない。両者は同じユーラシア大陸に属している。中国での食料生産が、肥沃三日月地帯よりも大きく遅れて始まったわけでもない。中国には、さまざまな技術も文字も複雑な政治機構も存在していた。どうして、一九世紀の中盤に、中国が、西洋からの侵略を受けなくてはならなかったのか。
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