神の根底的な不在

われわれは、神の根底的な不在を受け入れるしかない時代を生きている。このとき、不可避に要請される、集合的な意思決定の方法、それこそが民主主義である。われわれは、共同体の内や外でなされた悪や罪を、ときに摘発しなくてはならない。それらについて、誰かに責任を帰したり、誰かに制裁を与えなくてはならないときもある。神がいるならば、それらについての判断を神に委ねればよい。何らかの方法で、神の意思を聞きとることができるならば、その方法を会得している人が、判断を導出すればよい。たとえば、法についての専門家が、現代の神の意思に相当する普遍的な正義に依拠した判断を導出できるのであれば、専門家に裁判をまかせよう。しかし、神がいないとすれば、どうなのか。

『THINKING「O」』第3号「民主革命としての裁判員制度」収録論文より