発売中の「群像」2013年11月号に連載評論「〈世界史〉の哲学」第56回近世篇2「純粋な一神教」が掲載されています。
第56回
本来であれば、まったく逆のことが起きてしかるべき状況であった。すなわち、唯一絶対の存在としての神の観念が完成するどころか、逆に、(ヤハウェという)神が消えてなくなっても不思議ではない。いや、むしろその方がはるかにありそうなことだ。古代において、神に帰依する最も大きな動機は、安全保障にあったに違いない。ヤハウェも、本来は、戦争の神だったと推測されている。そのヤハウェを信じていたのに、戦争に負け、敵国で虐げられているのだ。しかも、それは、敬虔な宗教改革(申命記改革)からそれほどの年月を隔ててはいない時期のことだ。
とすると、普通は、次のように考えるのではないか。ヤハウェは、われわれとの約束を果たすことができなかった。ヤハウェは、バビロニアの神々よりも弱く、頼りにはならない。バビロニアの神々を信仰した方が安全で、幸福や繁栄ももたらされる。こうした考えから、敗者であるユダヤ人は、ヤハウェを見捨てるという展開が、もっともありそうなところだ。
ところが、そうはならなかったのである。
(「3 拝一神から唯一神へ」より)
1 神への愛/隣人への愛
2 一神教の諸類型
3 拝一神から唯一神へ
4 イスラム教の誕生
5 神の謎
もくじなど「群像」の詳細は下記の公式HPをご覧ください。
http://gunzo.kodansha.co.jp/18928/26859.html