どうして私には「先生」が必要だったのだろうか。見田宗介先生をはじめとする、私の〈先生たち〉についての論集です。
【目次】
まえがきⅠ
見田宗介 先生と私 翼をもち、そして根をもつことⅡ
中井久夫 リゾームではなくオリヅルラン――社会学者はなぜ中井久夫を読んできたのか
磯崎 新 理不尽な生成の場
中村 哲 積極的中立の提案
吉本隆明 「関係の絶対性」に殉じた思想
中上健次 いかにして〈路地〉を普遍化するのか
親鸞 法然、親鸞、そして聖霊へ
織田信長 理性の狡智――本能寺の変におけるⅢ
ドストエフスキー ドストエフスキーの二つにして一つのテーマ――神と金
ベネディクト・アンダーソン 文化の換喩的翻訳者
ハンナ・アーレント 日本人はあの「革命」の敗者に共感している――明治維新再考
マックス・ヴェーバー 社会学史上最も美しい理論
ジャン=ジャック・ルソー 一般意志は全体意志にあらず
ヴァルター・ベンヤミン 〈今の時〉に充たされた時間――「歴史の概念について」をめぐって
ミヒャエル・エンデ さがせ、さらば見出すであろうあとがき
詳細は青土社HP(http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3866)をご確認ください。