「〈世界史〉の哲学」連載第24回

1月7日発売の「群像」2011年2月号に、連載評論「〈世界史〉の哲学」の第24回が掲載されています。

タイトルは、「空虚な玉座に向かう宮廷愛的情熱」。

中世のヨーロッパで、「玉座の準備 hetoimasia tou thronou」と名づけられた図像が盛んに描かれている。「玉座の準備」とは、簡単に言えば、空虚な玉座、誰も座っていない玉座の表象である。
たとえば、ローマのサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂にある教皇シクストゥス三世の凱旋迫持(五世紀)のモザイク画は、色鮮やかな細かい石で作られた空っぽの玉座を提示している。この玉座の上には、クッションと十字架が置かれているが、誰も座ってはいない。その両脇には、ライオン、ワシ、有翼の人間(天使)等が見られる。このような空虚な玉座が、別の主題の絵画の中に組み込まれていることもある。たとえば、ジョット・ディ・ボンドーネが、十三世紀末期頃に描いたフレスコ画「聖フランチェスコの生涯」の中に、「玉座の幻視」という場面があり、この中に「玉座の準備」が描かれている。十字架に祈っている聖フランチェスコの頭上に——中空に浮かぶように——五つの空っぽの椅子が描かれている。五つの内、中央にあるひときわ大きく豪華な椅子が玉座である。

誰もが抱く疑問は、どうして、これらの玉座は空虚なのか、ということである。玉座に座るキリストなり、王なりが描かれることが絶対になかったのは、なぜなのか。

目次の詳細などは講談社HPをご覧ください。

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