「〈世界史〉の哲学」第58回 近世篇4「法の支配」をめぐる奇妙なねじれ

発売中の「群像」2014年2月号に連載評論「〈世界史〉の哲学」第58回近世篇4「「法の支配」をめぐる奇妙なねじれ」が掲載されています。

第58回
群像2014年2月号憲法学者や法哲学者等が「法の支配 rule of law」と呼んでいる理念がある。本来は、主として英米法を念頭において理論化された概念だが、一般的に応用することができる。「法の支配」という語は、今日、二つの異なった意味で使用されている。第一に、日常の社会生活において、「法」と見なされている規範が遵守されている状態が、この語によって指示されている。この意味における法の支配を重視する論者には、経済学者が多い。たいていの経済学者は、経済成長のためには、所有権や契約についての法律が整備され、遵守されていることが必要だと考えている。経済学者が、第一の意味で「法の支配」を重視するのは、このためである。
しかし、法の支配という理念の本来の意味、より重要な意味は、次の第二の使用法である。法の支配とは、統治者や統治する階層がーーつまり被統治者だけではなく統治者もーー、法によって設定されている制限に積極的に従う、という意味である。つまり、「法の支配」というときの法は、主として、統治者を支配するのだ。この場合、法の支配の反対概念は「人の支配」である。権力のヒエラルキーの頂点にいる者を、法によって束縛することは難しい。そうした難しい条件が満たされていれば、「法の支配」がある、と見なされるのである。
(中略)
では、イスラム文明においては、法の支配は満たされていたのか。
(「1 「法の支配」の二つの意味」より)

1 「法の支配」の二つの意味
2 イスラム法の諸法源
3 蒸発する「法の支配」
4 しこりのように残る疑問

もくじなど「群像」の詳細は下記の公式HPをご覧ください。
http://gunzo.kodansha.co.jp/27915/28383.html