「〈世界史〉の哲学」第60回 近世篇6 人間に似た神のあいまいな確信

発売中の「群像」2014年4月号に連載評論「〈世界史〉の哲学」第60回近世篇6「人間に似た神のあいまいな確信」が掲載されています。
00_群像_2014年4月号

きわめて厳格な「神の法」をもっているイスラム教の文化圏で、後年、つまり近代に入って「法の支配」が確立されず、同じ一神教でも、いったんは法を棄却した西洋キリスト教の文化圏で、典型的な「法の支配」が成立したのはなぜなのか? われわれは、目下、イスラム圏の歴史について考察しているが、「法の支配」をめぐるこうしたねじれに関する問いに対して、アウトライン的な回答を与えるために、今回は、キリスト教について、あらためて論じておこう。
(「1 申命記改革の反復の反復」より)

1 申命記改革の反復の反復
2 「消失する媒介」としてのキリスト
3 人間に似ている神
4 不安から愛、そして再び不安へ

もくじなど「群像」の詳細は下記の公式HPをご覧ください。
http://gunzo.kodansha.co.jp/27915/30760.html