「可能なる革命」第14回

発売中の『at+』21号(2014年8月8日発売)に、連載「可能なる革命」第14回が掲載されています。
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集団的自衛権が、「解釈改憲」などというとてつもない方法で容認されようとしている。もっとひどいことは、在日朝鮮人へのヘイトスピーチで、これが、街頭でも、またネットでも−−正確にどの程度の規模になるのかは測りにくいが−−思いもよらぬほどの共感の拡がりを呼んでいる。現在のこうした諸事実は、この国の左翼あるいはリベラル派には暗澹たる見通しをもたらすことになろう。とりわけ、「革命が可能だ」とまで言おうとしているわれわれにとっては、まことに不利な材料だということになる。
だが、こういうときには、ヴァルター・ベンヤミンがかつて提起した、あるテーゼを思い起こす必要がある。彼は、こう言っていた。ファシズムの勃興の背後には、必ず失敗した革命がある、と。(「1 失敗した革命の補償」より)

「陸さ居る限りオラぁ日本人だ。日本の常識で計られるベ。んでも海は世界中繫がってるペ。中国の鳥だからって中国語喋るわげじゃね、アメリカのマグロも英語喋んね。だからオラも日本語喋んね。マグロは魚類、カモメは鳥類、おらぁ人類だ」(忠兵衛)
「…かっけー」(アキ)

このように、忠兵衛の移動は、東京を中心においた(つまり国民国家の)擬似的な「普遍性」を越えた、類的な真の〈普遍性〉に対応している。留意すべきは、この〈普遍性〉が、夏(の地元)の〈特異性〉との結合の上で可能だったということ、である。〈特異性〉への徹底した内在なくして、〈普遍性〉への上向はありえなかった。両極が短絡的に結合しているのだ。(「4 北へ行くのね ここも北なのに」より)

1 失敗した革命の補償
2 二つの迂回路
3 鉄道
4 北へ行くのね ここも北なのに
5 トンネルを越えて

目次、詳細は下記の太田出版HPをご覧ください。
http://www.ohtabooks.com/publish/2014/08/08115236.html