「SYNODOS JOURNAL」書評『O』8号『現代宗教意識論』(評:橋本努)

「SYNODOS JOURNAL」で「O」第8号と『現代宗教意識論』について、橋本努氏が書評されています。「「正義」とはなにか 「初対談」を論じます」橋本努

「ありえない対談」の実現

待望の新訳、ロールズの主著『正義論』がついに出た。20世紀政治哲学最大の古典とされる本書は、おそらくマイケル・サンデルのいくつかの著書とならんで、日本でこれから多くの議論を呼び起こすであろう。
これに呼応するかのように、社会学者の二人の重鎮、大澤真幸と宮台真司もまた、政治哲学へと軸足を移している。そしてこのたび、「ありえない」と思われていたことが実現した。大澤真幸主宰の雑誌『シンキング・オー』(第8号、11月刊行)で、ふたりの初の対談が交わされたのである。」で始まります。

そして「議論は尽きないが、いずれにせよ、大澤-宮台対談は、ロールズの正義論から、ずいぶん遠くへ至り着いたようである。「共同体を超える正義はいかにして可能か」というふたりの関心は、じつはロールズと同時代を生きたネオコン(新保守主義)の教祖、レオ・シュトラウスの問題関心でもあった。ロールズ的なリベラリズムからシュトラウス的なネオコンへ。正義をめぐるわたしたちの問題関心は、どうも現代のネオコンの思想的影響力と無縁ではないようである。」と結びます。

また「本日の一冊」で『現代宗教意識論』を書評。

「最近、大澤真幸氏の著作が、立てつづけに三冊も出た。いずれも周到に書かれた珠玉の作品であり、第一級の思考と分析を示している。多産で豊穣な、大澤社会学の収穫の秋といえるだろう。なかでも本書は、「社会とは宗教現象そのものである」との観点から、ポストモダンの脱世俗化状況を、縦横無尽に論じる。オウム、エヴァ、サカキバラ事件などに分析の光を当てている。大澤氏によれば、わたしたちの世俗社会・資本主義社会を用意したのは、カルヴィニズムの予定説であった。神による救済の確証が、無限に遅延化されてしまうと、人間に可能な真実は、「信仰」によって与えられるのではなく、ひたすら科学的な「知」の「仮説」にとどまることになる。こうした考え方が、やがて西洋社会における世俗化と近代化を推進していった。しかし、科学的な「知」の権威が低下した私たちのポストモダン社会は、ふたたび「信仰」の問題を前景化している。本書はその意味を探った重要な成果といえる。」

詳細は下記

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